どうしてあのコーチは、そんな指導をするんだろうか?いろいろなチームの練習を見る中、そうしたことを感じることがある。ふと思ったのだが、ひょっとしたらそのコーチの中に、プレーモデルならぬコーチモデルがないのかも?!今日はそのことについて書こうと思う。
サッカーコーチをしている中で感じる喜びの一つに、指導している選手から「自分もサッカーコーチになりたい」という言葉をもらったとき、というものがある。恐らくその言葉を口にした彼の中に、サッカーコーチという存在が多少でも良いイメージになっているのだろう。魅力的に感じなければ、誰も「自分がやってみたい」とは思わないはず。そういう言葉はサッカーコーチにとって、大きな評価だと思う。
素晴らしいコーチを見る機会がある半面、どうしてそういうコーチングになるのか、見ていて辛くなるようなコーチも残念ながら存在する。
どうしてそんな練習なのか。どうしてそんな声を選手にかけのか。
しかしあるとき、ふと思った。選手にとって良いプレーモデルが存在すれば、それを真似することで改善を図ることができる。逆に言えば、良いプレーモデルがないと、イメージできないからなかなか改善を図ることは難しい。
ではコーチは?良い指導者と巡り会い、良い練習、良いコーチングを受けていたとしたら、そのトレーニング方法、コーチング方法がその選手の心の中にイメージされるだろう。でも、そうした経験がなかったとしたら?
そのことに気付いた瞬間、サッカーコーチという存在は、単に選手の成長を促したりするだけでなく、指導者のレベルアップにも繋がり、結果的には日本のサッカーのレベルアップを左右することになると思いが広がった。
私が尊敬する監督の一人に、湘南ベルマーレを率いる曺貴裁さんがいる。先日も湘南対山口の試合をパソコンで見たが、ハーフタイムには控え室に戻らずピッチ上で、来るか分からない出番に備えてウォームアップする選手たちに熱心に言葉をかける曺監督の姿が映し出されていた。試合後もベンチで、出場しなかった選手や交代した選手に声をかけ、身振り手振りを交えて何かを説明していた。
湘南スタイルと言われる戦い方を構築してきている曺監督。湘南から他チームに移籍した選手が、「俺は湘南でやってきましたから」と、その戦うスタイルを一言で説明するというほど、選手が自信を持って口にするその言葉の裏にある絶大なる信頼。それはひとえに、曺監督の日々の指導によるものであるのは間違いない。
そして選手の成長を促すため、目前の試合だけでなく、限られた時間をその成長のためにも費やす。真に選手のことを考えていなければ出来ないことだと考えさせられた。そしてまたそうしたことは、元フットサル日本代表監督のミゲルさんもそうだった。試合中、ピッチに背を向け、次に出番に備えてベンチに座っている選手に対し、試合の状況を説明する時間がとても長かった。
有形無形の影響を、指導者は選手に及ぼす。改めて指導者の担う責任の大きさを痛感する湘南の試合となった。