チャンピオンズリーグ準決勝バルセロナVSバイエルンミュンヘン。結果はご存じのように4-0でバイエルンミュンヘンの勝利で終わった。
この試合前から世間では『バルサ時代は終わったのか否か』と騒がれている。
私自身もバルセロナのサッカーは大好きであるから、そうした話題に対しては敏感に反応するし、何が書かれているのか興味を持って読む。
しかしそうしたことを繰り返すうちに、違和感が私の中で大きくなっていった。
どうも世間の風潮が、バルセロナのサッカーが理想で、それが崩れそうになっていることに慌てているように感じられたからだ。
このウェブサイトで私は以前から何度も書いてきているように、サッカーの未来は手でボールを扱う球技、例えばハンドボールだったりバスケットボールだったりというレベルに辿り着くだろうことは、純粋に『ボールゲーム』という視点からサッカーを見れば明らかだ。
高い技術を持つバルセロナの選手が、手でボールを扱うようにポゼッションし、相手チームを攻め崩すそのスタイルは、手でボールを扱う球技に近付くであろうというサッカーの未来を向いたものであるのは間違いない。
しかし、そこが終着点ではない。
バルセロナの現在のサッカースタイルが、サッカーの未来に向いてはいるが、決して到達点ではないのだ。
それは、今回のバイエルン戦で見せたものでなく、例えばACミランとの第2レグ、4-0でバルサが快勝したチーム状態の良いときでさえも、すべてがパーフェクトなわけではない。
まだまだ改善すべきシーンはある。
だからこそ選手は日々トレーニングに励み、より高いレベルのプレーを目指すわけだ。
特に今年はビラノバ監督が闘病生活を強いられ、指揮できない時間が長く生まれてしまった。
監督が最前線に立ち、叱咤激励しながらより高いレベルのプレーができるようトレーニングすることはサッカーの世界において基本であり、技術向上のための唯一の方法だ。
その際、監督が、あるときは厳しい口調で、また良いプレーの時は賞賛することで、選手のモチベーションは高まり、質の高いトレーニングとなっていく。
戦術に関して様々な分析が行われ、それが最大の問題点と指摘する風潮もあるが、戦術はあくまでもスタート時の選手の配列でしかない。
一度キックオフになってボールが動き出してしまえば、その時々の状況に応じて各選手が判断し、空いているスペースを埋め、お互いにスペースを使い合って相手ゴール近くまでボールを運び合うことになる。
結局は一人一人の選手がそれぞれの瞬間にどんな判断をし、動くのか、それがすべてなのだ。
バルセロナの場合、それぞれの選手間の距離が短く、基本的にショートパスをつないで相手の陣形を崩し、ゴール前までゴールを運ぶのがメインのスタイルとなっている。
しかし監督不在が長引くと、選手の『相手選手の間のスペースに入り、縦に入ったボールに対してはサポートの位置に入る』という連動した動きが徐々に見られなくなり、結果としてバルセロナの得意とするスタイルが構築しにくくなってきた。
それはCL準決勝第1レグのバイエルン戦でも顕著だった。ボールが動いてもそれに対してのサポートがなく選手は孤立。相手に寄せられ、数的不利になってボールを奪われる。
アタッキングサードにボールが入っても相手選手の間に顔を出していく選手がおらず、相手選手が並んだ目の前でボールを受けるから、バイエルンの選手にまたしても複数で囲まれてしまう。
もし録画している方がいるようであれば、バイエルンのアタッキングサードまでボールを運びながらシュートまで持ち込めなかったバルセロナの攻撃シーンを確認していてほしい。
チャビ、イニエスタらがあと3歩前に進み、相手選手の間でボールを受けることを繰り返していれば、いつものバルサスタイルになっていたはずだ。
たった3歩の距離だから、年齢の問題でもなんでもなく、これは単に普段のトレーニングからの意識付けでしかないはず。
世界トップレベルの技術を持つ選手でも、普段のトレーニングでの意識付けがしっかりできないと、こうなってしまう。
人間が行うものだけに、こうした実に人間的な部分があるから『スポーツ』は面白く、そして謙虚に取り組まなければと自戒させられる。
永遠に追い求めることになる理想のサッカーを目指し、サッカー選手は日々トレーニングに励み、我々コーチはそれをサポートするため、日々学び続ける。
バルセロナのサッカーが究極のサッカーではない。それをいちばん理解しているのはバルセロナの選手だろうし、そうした意味で崩壊も時代の終焉もない。
しかしサッカーの未来形に向かってもっとも先に進んでいるのは間違いなくバルセロナだ。
そう私は考えている。
川上滋人