現代スポーツは知恵比べ。体力勝負ではない。

考えるトレーニングをしていないチームのサッカーは再現性に乏しく、すべては偶発的に展開される。これまで何度も言ってきているように、サッカーで勝利するためには相手チームより多く得点を取る必要がある。そのためには、何度も確実に相手ゴールの近くまでボールを運んでシュートしなければならないわけだ。そこで重要なのは、本能に頼らず、論理的にサッカーをプレーすること。『考える』ことが大事になる。

 

私がサッカーコーチをしてきている中でたくさん嬉しい経験をしてきたが、その中の一つに、こんなことがある。それは、以前指導していた中学校でのことで、顧問の先生に言われた言葉だ。その顧問の先生は国語のベテラン女性教師で、サッカーの経験はない。練習は私が行い、スケジュールや学校との調整、練習中のケガなどの対応を、常に練習に参加してその顧問の先生がサポートする、というスタイルとなった。

 

その形を新年度頭からスタートさせたので、たしか3ヶ月ほど経った6月くらいだったと思うが、ある日の練習終了後、その先生が私に「サッカーは体力勝負だと思ってましたが、こんなに知的なスポーツだったんですね」と言ってくれたのだ。

 

ボールの置き場所、トラップ、ドリブル、ボールホルダーと自分の位置関係、距離感など、練習の中で選手にいつも「なぜ?それでいい?」と私は問いかける。選手からの答えによっては「こういう方法は?」と私がアドバイスするやりとりを毎回見て、その顧問の先生はすべてのプレーに理由があることに驚いたそうだ。

 

ヨーロッパのサッカーを見ていても、ボールの動かし方、身体の使い方など、進化していることが感じられる。恐らく、たくさんのスタッフが試合を分析し、その中で新たな個人技術、戦術、チーム戦術などが構築されているのだろう。しっかりとした理論に裏付けられているので、再現性が高く、何度も同じようなシーンを目にすることになる。

 

指導者も常に「なぜ?」と疑問を持ち、答えを導き出す作業を繰り返すことが大事だ。そもそもすべてのプレーには理由が存在し、論理的思考が重要、という認識を持たなければいけない。

 

考え続ける中で、一発で答えにたどり着くことは難しい。しかし、答えを導き出すために失敗することも、正解にたどり着くために大切なプロセスとなる。そうした遠回りのプロセスも、また別の問題の答えを導き出す際に、大きな力となってくるのだ。

 

そしてそうして考える作業の中で、新たな疑問や解決方法がアイデアとして浮かんでくることもある。

 

例えば良い攻撃練習をするために、しっかりプレスを掛ける練習が重要だから、まずはディフェンスの練習をしよう、という提案をしたとしよう。多くの指導者は、自分のチームの攻撃力をアップしたいから、提案されたディフェンス練習はやらず、目先の目的の攻撃練習だけ採り入れようとする。しかし、攻撃練習の中で、守備側がタイトなプレスを掛けなければ、試合では役に立ちにくい。なぜならば、相手チームは勝とうと試合に臨んでくるわけで、必死にこちらのボールを奪いにくる。それ以上の厳しいプレスがかかった練習を経験していなければ、練習で行った攻撃パターンを発揮することは難しく、相手のプレスが緩いときのみ通用するという、連取でやったことは限定的な役立ち方しかしないわけだ。これでは真の力を付けたと言えない。

 

確立された練習方法には、しっかりとした思想が存在する。そしてそれは、すべてをしっかりとトレースすることでしか理解できない。いいとこ取りしようとしても、真の理解をすることは出来ず、近道したつもりなのに、結果的には遠回りしてしまっている。

 

すべてのプレーには理由が存在する。なんとなく、というプレーはあり得ない。指導者まずそれを認識すべきだし、常に考え、自分なりの答えは持っていなければいけない。そして自分が考えた以上のプレーを、選手が選択し、実行できるようサポートすることが大切だと私は考える。

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